「灘中高」は異次元の数学授業で秀才を育てる

 

名門進学校で実施されている、一見すると大学受験勉強にはまったく関係なさそうな授業を実況中継する本連載。第9回は関西の名門「灘」の人気授業を追う。


■中学3年分の数学を1年で終えてしまう

 「灘1位、日比谷2位」。1968年3月、新聞の見出しに、日本中が衝撃を受けた。戦前を含めてつねに東大合格者数1位だった日比谷高校の牙城を最初に崩したのは、開成でも筑駒(筑波大附属駒場)でもない。灘だった。兵庫県神戸市東灘区に所在する、中高一貫の私立男子校。1学年200人程度の小規模校にもかかわらず、東大合格者数ランキングでは例年トップ3に入る。

 「菊正宗」の嘉納家と「白鶴」の嘉納家と「桜正宗」の山邑家という3つの酒蔵が資金を出し、柔道の聖地「講道館」の祖であり東京高等師範学校の校長も務めた嘉納治五郎が創立者となり、1928年、灘は開校した。

 元教諭・橋本武さんによる『銀の匙(さじ)』のスローリーディング授業が有名だが、灘の驚異的な進学実績を支えているのは圧倒的な数学力だと一般にはいわれている。

 中学入試の算数は超難問。それをくぐり抜けた生徒たちを相手にして、数学に関しては、一般的な中学校3年分の内容を中1の1年間で終えてしまう。

 灘の数学のレベルの高さを象徴する名物授業がある。中2から高2を対象にした「オリガミクス入門 作図可能性を巡って」である。週5日制の灘において、土曜日に開講される特別講座「土曜講座」の人気授業だ。

 ギリシャ3大作図不可能問題の1つでもある「角の三等分問題」にも挑むという。2017年6月に実施された授業を見学した。

 120席ある「大講義室」に中2から高2の生徒約100人が集まった。各自折り紙を持参している。

■グループで話し合いながらガヤガヤ進める

 「9時になりました。授業を始めます。この講座は私が一方的に授業する講座ではありません。課題が1から7まであります。1は必ずやってもらって、あとは好きな課題に取り組んでもらいます。へー、おもろいな、ふーんという感じで折り紙を折って数学をしてください」

 河内一樹教諭が足早に説明を始める。

 「10時過ぎになったら課題を簡単に解説します。中2・中3の生徒には、後半知らないことがいっぱいあるかもしれませんが、まあ、気にしないで楽しくやってください。グループを組んでやってくれたら結構です。ワイワイ、ガヤガヤやってください」

 

河内教諭の授業ではグループワークを行うこともあり、その経験のある生徒は友達と相談しながらの数学には慣れている。

 「コンパスと定規の作図は中学の数学でやっていると思うんですけれども、折り紙にもそのような、最低これだけは守ってくださいという公理みたいなものがあります。それが課題1です。折り紙で許される作図の種類というのをまず確かめてください」

 早速こんな会話が聞こえてくる。

 「これ、自明すぎへん?」

 「手順1から3は省略してもいいでしょ」

 さすがは灘の生徒たち。頭の中で仮想折り紙を折るだけで、手順に書かれた意味合いが理解できてしまうのだろう。

 「でも、課題1をやるためにはやったほうがいいかも……」

 3人掛けの机で、こんな感じで話し合いながら課題を進める。


 課題が進むと、ただ折り紙を折るだけではなく、代数的な計算も必要になる。3人組のうち1人が計算をして、1人が折り紙を折り、もう1人が実働部隊の2人に助言を与えるような分業体制をとっているグループが多い。

 教室は、ワイワイ、ガヤガヤにぎやかだ。しかしうるさいわけではない。知的好奇心が刺激され、さらに友達同士で相乗効果をもたらし、にぎやかに数学の世界に没頭しているのがわかる。大講義室の空気が知的な振動を帯びている。

■証明問題の解説はたったの30秒

 講座の目玉でもある「角の三等分問題」は課題6に登場する。コンパスと定規ではどうやってもできないことが、折り紙だとできる。それを体験する。

 テキストの一部を抜粋転載する。実際に正方形の紙を使って、挑戦してみてほしい。作業自体は説明のとおりにやればできる。大切なのは「なぜそれで角の3等分ができているといえるのか」である。

 「10時になりましたので、ざっと解説したいと思います。いったん折り紙を折るのをやめて、話を聞いてください。まず4ページで、角の三等分ができるという話です」

 課題5までは一気に飛ばして、いきなり本題だ。

 「いろんな証明が考えられますが、あっさりいきますね」

 黒板にテキストと同じ図を描く。生徒たちも真剣な表情で黒板をにらむ。

 「平行に折っているので、この角(∠FC’C)とこの角(∠C’CB)は錯角で等しいです。それから、ここ(線分CFと線分FH)は等しい長さで折っていますので、ここを結ぶ(線分HC’)とこの角(∠HC’F)とこの角(∠FC’C)が等しいです。あとはこういう対称軸(2番目の手順でできた折り目)がありますので、この角(∠HC’C)とこの角(∠H’CC’)が等しいです。終わり」

 

 

 

「おー!」

 たった30秒でギリシャ3大作図不可能問題の1つの証明が終わり、教室からどよめきが起こる。声を上げたのはおそらく中学生が中心。高校生の多くはすでに理解していたのだろうが、河内教諭のまったく無駄のない説明にうなっていた。教室全体が脈を打っているかのように、知的な躍動感に包まれる。超名門校の授業でときどき見掛ける現象だ。これが「学びの集団」の迫力である。

 そこから先、約15分の説明は、数学に自信のある人でないと理解は難しいと思われるので、河内教諭の説明からごく一部のキーワードだけを抜粋する。

 「なので3次方程式のどんな実数解も、正方形の折り紙を使えば作図ができると」

 「中学生はたぶんついてこれてないと思うんですけど(笑)、高校2年生は一気に数学の世界が広がって楽しかったんじゃないかと思います。まあ、徐々にいろいろなことがわかればよろしい。まだまだ先は広がっています」

 近くに座っていた高2の生徒に聞いてみた。

■幼い頃からの疑問が解消されて感動

 「オリガミクス、どうだった?」

 「小さいときに折り紙が好きで、折り紙の本をよく読んでいました。でもそこによく『角が3等分になるように折りなさい』なんて普通に書いてあったんですけど、幼心に『そんなの無理じゃん!』とずっと思ってたんですよ。今日、本当に3等分に折れるということがわかって、ちょっと感動しました」

 幼い日に折り紙の本に書かれていることに疑問をもち、その疑問を手放さず生きてきて、灘に来てその謎が解けたというのだ。そのコメントに感動する。

 河内教諭にも聞いた。

 「数学は、問題を解いてテストで点を取ってステージアップするだけのものじゃないはずなんだけどね、という原点に立ち返って楽しむというのがいちばんの狙いですね。でも中2から高2までを対象にしてこんな発展的なことを扱うのは、本校以外なかなか見当たらないでしょう。90分でこんなにできるのは、この学校の生徒の底力ですね。彼らの数学に対する強烈な関心の持ち方に、今日改めてすごいなと思いました」

 教師がハイレベルな課題を与え、生徒がそれに十二分に応え、その姿に教師が感嘆の声をもらす。「学びの引力」とでもいうべき強力な力が作用している。灘が単なる受験進学校ではないことがおわかりいただけたのではないだろうか。

 

 

おおたとしまさ

 

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